たぶん役に立つ情報|古代中国はイランをどう呼んでいたのか 中国の古代文献では、現在のイラン(伊朗)は最初から「波斯」(ペルシャ)と呼ばれていたわけではない。 史記の「大宛列伝」には、西域の国として安息国が記録されている。これは古代中国がイラン地域を指して用いた最も早い呼称の一つである。 その後、後漢書になると安息に関する記述はさらに増え、当時すでに中国と安息との往来がかなり活発だったことがうかがえる。 一方、「波斯」という名称が中国の史書に登場するのは三国時代になってからである。最も早い記録は三国志「魏書・西域伝」で、ここで初めて「波斯」という呼称が使われている。 さらに明代になると、文献の中には波斯を指す別の音訳として百爾西亞(ペルシア)という呼び方も現れる。 「安息」から「波斯」、そして「百爾西亞」へ。これらの名称の変化は、中国がイラン地域を認識し、交流していく過程の変化も示している。 つづきは次回!フォローしてお見逃しなく。